近況(4/15-21)

去年日記を始めようとして、その時は日記機能付きのiPhoneの某スケジュールアプリにつらつらと書き込んでいたけれど、1か月で挫折したことを思い出した。

やはり仕事の日がきつくて、書き起こす余力が残らないか、日記を書くというタスクを忘れてしまう。だいたい2、3日分を振り返って書いていた。

今はこうして、週末に何か書いてアップすることにしているけれど、大したことを書いていないのに気持ちの整理になってとてもいい。三十代になって細かいことに気が向かなくなっているのを感じていて、まずは関心の範囲内で書き起こして切り離して、何か別のことに気持ちを向けていきたいと思うようになった。

ネットで軽く検索すると、「週記」としてその週に何があったか書くのを習慣づけるケースがあるようで、客観的に出来事を捉えられるのがメリットとして挙げられていた。ただ自分が今書けるのは「週記」には及ばなくて、もっと毎週の出来事をまとめて捉えられたらいいけれど、そこまでくっきり日々を覚えられていないな……。

っていうのが、今週ぼんやりと考えていたことのような気がします。

近況(4/8-14)

大きな公園を通り抜けて出勤しています。木々を毎日眺めていると、若葉の成長や、葉が濃く色づく勢いの良さに気付いて驚きます。

で、そこからいつも手の爪を連想します。手の爪って、「まだ切らんでもいいな」って週末まで放置しようとすると一晩で想像以上に伸びて、結局翌朝に切るか、一日二日気にし続けて、夜に切る……と往々にしてなります。なんでか手の先は生命力がみなぎっているようで、あきれます。逆に切らないと判断したことでこれ見よがしに勢いよく伸びているのかもしれない。

毎週末とか曜日を決めて切ってればそうはならないんでしょうけど、決めると必ず忘れて、日を定めた意味を失っているという。散髪もそうで、伸びてきたなと思わないと切らなくて、思った段階で予約しようとするとたいてい1、2週間後になるという。

そんな中で月詠のことを考え始めていて、そろそろ書かないといけないんですけど、まだ取り組めていません。欠詠はしたことがないんですが、「本当に毎月間に合ってるのかな……?(締切後に着いているのに、温情で受け付けてくれているとかなってないかな)」と最近思っています。「遅刻魔」みたいになってないかな。

近況(4/1-7)

ほぼ同じタイミングで消耗品を使い切ることってありますよね。重なるほど心地よい気がします。

今週は洗顔フォームとリンス、トイレの芳香剤、ティッシュ箱のストック、ごみ袋のストック、仕事で使っている青ボールペンのインクが、しかもかなりきれいに切れました。一気に来たなって感じで、買い替えは気持ちが一新するしいいんですけど、ライフサイクルが一巡したのかなって思えてきてせつない。

この関係で一番心にくるのは家電やと思います。使えなくはないんですけど、現時点でHDDレコーダーが不調で、洗濯機と電子レンジも動きが弱まってきて余命わずか。家電がほぼ同時にくると、いよいよなんかせんとなって考えそうです。既にもう(購入した)二十代の頃には戻れないんよなと思い始めています。

書いていると一気にものが切れることって脱皮みたいやなって思えてきました。個人的にすとんと落ちるし、歌になりそうな気がしてきました。

近況(3/25-31)

予定外の東京出張に、さらに予定外の仕事もたくさん降ってきて、年度末なんて関係ない慌ただしさ。久しぶりに平日は何も考えられなかった。

最近は「1日1首、調子がいい時2首」を目標にしていて、①出せる時はうたの日に参加してみる②忙しい場合は帰宅中から寝るまでにいちごつみの打ち返しを考える……のサイクルが楽だとわかり、とてもうれしい。その時々の自分にフィットしたやり方に更新していきたい。

その一環で、うたの日の結果をXで共有するのをやめました。代わりに今週は思ったことを短くポストしていたのですが、自分は定期的にまとめて書いた方が向いているようです。もう少しブログを活用したい。

塔2024年2月号・作品2永田淳選より

好きだった6首を引きます。

 

半分を金色にしたひとだらけひのでの見える海岸線は/星亜衣子(p.137)

 きっと実景なのかなあと。そう確信するくらい手触りがあり、過去の記憶に思いをはせました。読み手それぞれの朝焼けを想起させる、力のある歌だと思います。早朝の海岸沿いの美しさを綺麗に言語化されたことも素敵です。一連のどの歌も魅力的でした。

 

ご一緒に白日夢などみませんか薄目をあけて野良猫がいう/田島千代(p.138)

 昼寝している猫に対してそのように発想するのか、と感じ入るものがありました。「白日夢」が秘める非現実的でポジティブなイメージも含めて素敵です。

 

五章まで読みゆきたれば栞紐青くページに横たはりをり/いわこし(p.139)

昨日から物理法則変はり発射するものみな花になるといふ/いわこし(同上)

 一首目、私は小説を読むときにまず栞紐のあるページを開いて使ってしまうのですが、主体はそうせずに本を読み進め、栞紐のページに行き着いたと読みました。確かに本に収められた栞紐は折られて横たわっているようで、表現の的確さと、栞紐の青色に着眼する(きっと鮮やかな青だったのだと思いました)手触りのある感じがとても好きでした。

 二首目、おそらくガザを思って詠まれているのですが、出来事を憂う歌が塔誌に多く並ぶ中で、詩的に展開したところが好きです。ただ銃弾や砲弾が花になることと、「物理法則」が変わることの因果関係が気になりました。

 

筋力よりバランス力を失ふと気づいたときはもうこけてゐる/藤原學(p.143)

 発見があり、そうだと気づいたときにはこけてしまっているという下句のユーモアも好きでした。

 

交差点うつむく男で埋まりたり独りでいるのが下手なわれらか/八木佐織(p.144)

 共感しました。スマートフォンを見るか、単にうつむいて信号待ちの手持ち無沙汰を紛らわしているのだと思います。上句で「男」と限定したことには何か理由があるのかなと一瞬思ったのですが、実際に主体が見た景がそうだと読みました。「われら」で主体自身もその中にいる(のだろう)と俯瞰的に詠まれているのも好きでした。

塔2024年1月号・作品1山下洋選より

好きだった5首を引きます。

 

下戸なればたくさん食へばええやんか吾が思ひたり自分のために/永山凌平(p.86)

過去の飲み会で言われた印象的なことを、別の飲み会で反芻していると読みました。「たくさん食へばええやんか」が実際の言葉で、初句と下句が地の文かな、とは文体から推測でき、語りの挿入が印象的でした。カギカッコを入れた方がいいと指摘する意見も出てくるような気がしますが、入れない方が印象的で素敵だと思います。私も酒をほぼ飲まないので、感じ入る歌でした。

 

火は怖い赤にも青にもなるからとわたしよりきっと死に近き友/川上まなみ(p.90)

感受性が豊かで、それだけ受け止めてしまうものも大きいのかなと思います。下句が印象的で、共感しました。

 

この世になき鳥もあるかと見上げをりゆふぐれに凄き椋鳥の群れ/小林真代(p.91)

身近な景の中で、もしかしたら今見えているムクドリの中には既に死んでいるもの(霊とかでは括れないものかなあと思いました)もいるかもしれないという発想が素敵です。

 

待つ人の無き家なれば時しばしフロントガラスの雨に憩はむ/仙田篤子(p.92)

車を打つ雨音やガラス越しに見える雨滴って素敵ですよね。静かでもうるさくもないような気がします。二句までが少しさみしいからこそ、沁み渡るのかなと思いました。

 

血縁がずっと苦手だ欲しいのは絡まる前の結束バンド/落合優子(p.96)

血縁を絡まるものと捉えて、外から綺麗に束ねてくれる「結束バンド」がほしいということかと読みました。

塔2024年1月号・若葉集(なみの亜子選)より

好きだった歌を5首引きます。

 

パーティの隅でちいさくなっているコルクをふたつ並べてあげる/鈴木ベルキ(p.184)

歓談する時間帯だと、ぽつんとしてしまうこともあると思います。主体もそのような中で自身と重なるコルクを見つけたのではないかと読みました。「ちいさくなっているコルク」に気づいてあげられることがそのことを想起させ、さらに並べて「あげる」ところに優しさと繊細さを感じました。大好きな歌でした。

 

ちちははの手を振りほどき駆け出だす幼の腰に跳ぬる水筒/森田敦子(p.185)

主体は父母よりさらに後ろにいるのだと思います。幼い頃は水筒を肩からかけていたことも思い出して、感じ入るものがありました。映像的なのも素敵です。おさなごの背中を見る時に跳ねる水筒に目が止まるのも共感しました。

 

服薬はぼーっとしてる時が良しパカッと開く昏き咽頭/川上美須紀(p.186)

自分は錠剤を飲むのが苦手でよく喉につかえてしまうので、関心をもって読みました。「昏き咽頭」は主体の感覚だと思いますが、俯瞰的に見ている感じが好きでした。

 

独身という樹々でいて無為に見える日々は緑を美しくする/小川優(p.186)

とても気になった歌でした。下句の「緑を美しくする」は「樹々」にかかるのだと読みました。独身であることを「樹々」に例えたのは、一本いっぽんが独立していて離れているからかな、などといろいろと考えました。この次の歌も含めて好きでした。

 

僕の行く歩みはなんとなく帰路たよりなく過ぎる街灯がある/瀬崎薄明(p.188)

行きよりも、帰りの方がもの思いに耽りやすそうな印象などともこの歌はつながってくるのかな、などと考えました。主体は考えている→だからどちらかというと帰路に思えてくる、という感覚をさらりと詠んだのだと思います。街灯が「たよりなく過ぎる」のは、こうした感覚をうまく補強していると思いました。

 

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近藤由宇さん、丸山萌さん、森山緋紗さんと宮下一志の4人で分担して塔を読み、好きな歌を紹介する「塔を読む会」を開催しています。割り振られた欄を読んでいると会では紹介しきれないほど好きな歌があるので、会で引いた歌も含めて、短い感想とともに紹介しています。書けたものから順次挙げていく予定です。